「三島さんと走ると、一人で走るのより何倍も楽しくなるんです
視覚障害者ランナーとして、夫婦で元気に走ってこられた三島康幸さん(47歳)と早苗さん(46歳)が、4月28日(土)の朝、交通事故で亡くなられた。
現場は大阪市東淀川区の自宅近くの市道で、横断歩道を渡っているときの事故だったという。ワゴン車の運転者がカーステレオの操作に気を取られ、前方を見ていなかったのが原因だった。
伴走を通じて三島さん夫婦と親しかった永田守末さんは、事故の起きた場所についてこう語っている。
「いつも車の来ない淀川の河川敷を走っていたので、そこへ行く途中だったんでしょう。交通量も少ないし、見通しが悪いわけでもなく、こんなところで事故が起きるのかと思ってしまうような場所ですよ。小学校の正門の前なので横断歩道もありますしね」永田さんによれば、早苗さんは最近ではほとんど視力が失われた状態だったが、康幸さんの右目はコンタクトを入れて0.08程度の視力が、あったのだそうだ。
それで、二人で走るときには、康幸さんが早苗さんの伴走役をしていた。
三島さん夫婦は、月2回の日曜日は『わーわーず』というグループの集まりに参加し、長居公園の周回コースを走っていた。視覚障害者が20人弱、伴走者が25人ほどいるグループで、その代表を務めているのが永田さんだ。
「康幸さんはパラリンピックのマラソンで入賞した名ランナーですが、みんなから信頼されていました。早苗さんは、いつもにこにこしていて、あの人がいるとそれだけで場が華やぐんです。本当に大切な方を亡くしてしまいました」
レースでの実績はもちろん、2人が明るく楽しく走り続けていることが、多くの視覚障害者ランナーを励ます事になっていた。
早苗さんの伴走をする機会が多かった鷲尾かおりさんも、やはりその点を強調する。
「三島さんの前向きな生き方は、視覚障害者ランナーの方たちに勇気を与えてきたと思いますし、尊敬も集めているようでした」
鷲尾さんは、長居公園で伴走をするようになって三島さん夫婦と知り合い、早苗さんのフルマラソンやサロマ100kmマラソンなど、多くのレースで伴走を務めた。
「サロマ湖を走ったのは93年。雨のために完走率が低かった年で、もし私1人だたっら完走できなかったと思いますね。あの日は、障害者ランナーと伴走者という関係ではなく、ともに一つのゴールを目指して走っている仲間という感じでした。三島さんの伴走をした人はみんな言っていますが、一緒に走ると一人で走るより何倍も楽しくなるです。そんな方でした。」
鷲尾さんはその後結婚して東京に転居したため、二人に合うのは、年に一度帰省したときぐらいになっていた。だが、事故の二日前に久しぶりに電話で話したのだという。
「私の子育ても落ち着いてきたので、今年の夏は長居で子供も一緒に走ろうと話してはいたのですが・・・・」
一緒に活動してきた永田さんは、「お二人の意志を継いで『わーわーず』の活動をぜひ盛り上げていきたい」と言う。また、鷲尾さんは「三島さんのように走りたいと思っている人たちが、楽しく走れるようにサポートしていく事が、何よりも供養になると思う」と語っている。
今回の事故は、二人が視覚障害者だから起きたものではなく、あくまでドライバーの不注意によるものだった。視覚障害者ランニングの将来のためにも、そのことは、はっきりさせておくべきだろう。それと同時に、すべてのランナーが交通事故の怖さについて再認識すべきという教訓も与えてくれた。(取材・文 / 水城 昭彦)
なお、紙面には、93年、激しい雨の中、早苗さんと鷲尾さんサロマ湖100kmマラソンゴール写真
92年宮崎盲人世界マラソン大会の三島さん夫妻、鷲尾さん、永田さん、木内さんと一緒に写った写真がのっています。
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