じゅんたんさんが、完踏記を寄せてくださいました、ありがとうございます。
じゅんたんです。
5月24日に行われた第一回水都大阪100キロウルトラマラソンに参加しました。 ひざ上の痙攣に襲われ殆ど歩いた佐倉とかすみがうらのフル、伴走者との足合わせに出かけたわーわーずの長居練習会、32度の猛暑に遠のく意識の中で走った多摩川50キロ。
全てこの日のために走りました。そんな時、関西で新型インフルエンザ流
行のニュースが流れました。生体肝移植を受けた主人は免疫抑制剤を服用中の身体。私が運んだウイルスに異常反応して入院する主人の夢を見ました。
前日までどうしようかと悩んだ末、8年経って飲む量も減っているので、一週間別居という事で私のわがままを通させてもらいました。辛い大阪入りでした。 前日は受付を済ませ、伴走のふきこさんの友人のUさん宅へ泊めていただきました。
朝5時半アーリースタート。これ以上の良い条件は一生ないかも知れないと思うような涼しい風が吹き、鳥の声や花の香りに包まれ、2月から思い続けた水都大阪のスタートラインに立てた喜びを叫びながら前へ進みました。
エイド時間を短く、イスには座らないと自分に言い聞かせて気持ちの良いスピードで走りました。50キロは6時間で通過し、最初のトイレ休憩を取りました。エイドのカキ氷やたこ焼きが美味しかったです。走路観察をされている山田さんに会いました。知っている人に会うと元気が出ました。70キロ手前あたりの道幅の広いところではロープを放して伴走者の声を頼りに両手を大きく振って走りました。
一人で走っているんだ。何ともいえない開放感でスピードが出ました。70キロ通過が8時間35分。出来すぎでした。73キロ関門手前から、突然横風が吹いて来て雷雨となりました。急激に温度も下がって汗をかいた身体が寒くなりました。78キロのエイドではじっとしていると震えてくるので、すぐ歩く事にしました。水溜りをよけて草原に 上がり走っていると膝が重くなって来たので、走路に戻りジャブジャブ走り歩きました。二度目のトイレ休憩ではウトウト眠ってしまいました。音が遠くに聞こえる感じ。足のほうに血液が回ってしまい、頭に行っていないようでした。
次のエイドでコーヒーとチョコレートをもらいました。私設エイドのおじさんがやかんの底で温めてくれました。見知らぬ人に親切にしていただき涙が出ました。まだそのぬくもりが左手に残っています。
今回の100キロはすごいウルトラランナーのふきこさんが伴走者という事で、自分を全て出し切り走ろうと思いました。
そのことを走りながらふき子さんに伝えたけれど、一緒に走ったのが4回目、後半私のわがままで彼女に大変辛い思いをさせてしまいました。
体力の限界ギリギリで走るウルトラは信頼する心が一番大事ですね。もっともっと伴走者を信頼しなければいけないですね。川のような水溜りを走るうちに不安が膨らんで身体が硬くなってしまいました。
前夜、中間地点12時、73キロ15時半、93キロ19時と関門通過時間を決めていました。気持ちを切り替える一応の目安でした。左肋間神経痛と腰痛に悩まされ、前半の貯金を使い果たし、暗くなった大阪城公園に戻りました。
思うように走れず、勝気な私は自分を責めて、益々苦しくなりました。その時ふきこさんは私の気持ちを察して「大丈夫、予定通りよ。歩いても完走できるよ」と励ましてくれました。
石畳は両膝を手で押すようにして歩きました。残り3キロのところで伴走者さんが泣いているのに気づきました。ずっと一緒に100キロ走ったんだから、喜び、苦しみも私と同じなんだ。「まだ泣かないで。あと3キロ伴走をお願いします」と言って涙をこらえました。足が前へ進んでいるかと何度もたずねました。
伴走者のカウントダウンの声と太鼓の音に励まされ、何とか顔を上げてゴールテープを切りました。
目標通り14時間台で完走できて、マッサージをしてもらう時も涙が止まりませんでした。 ふきこさん。100キロの伴走、本当にありがとうございました。
大会スタッフの皆さん、マッサージボランティアをしてくれたわーわーずの皆さん、応援してくれた皆さん、ありがとうございました。
以上です。
水都大阪100kmウルトラマラニック の大会サイトは こちら です
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