第10回奥熊野100kmマラソン
2008年4月27日(日) 和歌山県東牟婁郡

わーわーずメーリングリストに投稿されたメールを、森本さんのご了承を得て転載いたします。

MLの皆さん、今日は、和歌山の森本です。

僕は4月27日、那智勝浦町で開かれた、奥熊野100キロマラソンに参加してきました。
朝、5時に、那智の滝をスタートしました。
スタート前に、招待選手を、何人か紹介していました。
フォークシンガーの高石ともやさんも参加していました。 今回の大会は、大雨がふり、山崩れがあり、マラソンコースが変わっていました。
那智の滝の石の階段を、下ってから上るという、コースが加わっており、そして山越えも5箇所に、増えていました。 僕は号砲をあいずにTさんと、絆を持ち、80人のランナーと、共に気持ちよくスタートしました。
Tさんは、走りながらよく、話をしてくれました。
体にあまり力を入れるな、後半に、たっぷりと、りしがついてくる。
とにかく、体の力を抜いて、ゆっくりゆっくり、
Tさんは、エイドに入ればまわりの人としゃべり、なかなか、走ろうとしませんでした。
いなくなったと思えば、若い女の人をつれてきて、森本さん、写真を、とるど。
それが終わると、自分の持っている、GPSを周りの人にゆっくりと、説明をする。
僕は、この大会を、なんとか、時間内完走をしたいと、思っているのに、Tさんは、一向に、走ろうとしない。
僕は伴走してもらう身、少しいらいらしてくるが、そこがつらいとこ、にこにこと作り笑顔で走り出す。 Tさんは、走りながら、よく話をする。
去年見つけた錆びた、自動販売機、今年は、ビールが出てくるか、気になって気になって
古座川の上流は四万十川に負けないぐらい、奇麗だと話しながら、四万十川100キロマラソンの話をしてくれました。 おーおお見つけた見つけた、この吊橋や、一度渡りたかった。
走るのを、やめて、吊橋を渡りだす。
途中まで渡ると、橋が揺れだす。
やっぱり、怖い怖いと、小さな声でつぶやきながら、引き返す。
実は僕も吊橋はとても怖いのです。 太田を通り、熊瀬川の山をを上り、下ると、50キロ地点である、色川につきました。
ここで主催者側で準備してくれた、二人の伴走者と交代しました。
二人の、名前は、Kさん、Nさんです。
とても親切な人でした。年は、40歳ぐらいでした。 気候は、あまり、暑くなく、涼しい山風がふき、体を気持ちよく、冷やしてくれました。
山鳥も鳴いていました。
鴬も上手に、鳴いていました。 Tさんは二人に伴走の基本を上手に説明していました。
さすが、うまく、二人に分かりやすく、教えていました。
僕は、流石伴走のベテランだと、思いました。
Tさんも、やはり、閉めるところは、きっちりと決めて、さすがだなあと関心しました。 二人の伴走者は、エイド毎に、交代しながら、走ってくれました。
腕ふりも、足の歩幅も合い、とても走りやすかったです。
75キロ地点の、関門も、順調な、走りとは、いえないが、なんとかクリアしました。
最後の山を上り始めました。
僕は、いつもここで、へたるのです。 山の中の、道には、たくさんの小石が、ころがっていました。
木の枝や葉っぱが、たくさん落ちていました。
伴走者の人も、小石や木の枝を、どけながら、走るのは、たいへんだったと思います。
僕は、いつもこの、最後の、山道で、へたります。 伴走をしてくれている、Nさんに、歩かずにこの山を登ります。
エイドで食べた、ミカンが、よかったのか、疲れていた、体に元気がでてきました。 制限時間は午後7時30分でした。
僕は、午後7時29分の電車に乗らなくては、田辺に帰ることが、できないので、88キロ地点、山の頂上で、午後6時30分に走るのを、やめました。 伴走してくれた、KさんNさんが、車で那智駅まで、送ってくれました。
車中二人で伴走の話をしていました。
Kさんは伴走は難しいなあ、たいへんやなあとNさんに声をかけていました。
Nさんは、半分は、それに同意するような、返事と、それほどでもないなあという、様子でした。 僕の、感想ですが、二人は、一生懸命に伴走してくれました。
誘導も一生懸命にしてくれました。
ただ、Nさんは、走るのも誘導もたいへん、力が抜けていました。
走るのに、怖さを感じませんでした。 僕は、気分よく、さわやかな気持ちで、田辺に帰ってきました。
Tさん、Kさん、Nさんには、感謝しています。
どうもありがとうございました。> この大会、奥熊野100キロマラソンのスタッフの皆さんはとても親切です。
エイドの皆さんもとても暖かく接してくれます。
とてもいいマラソン大会です。 僕はこの奥熊野100キロマラソンは、大好きです。



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