「三島先生との事」
             岸和田市民病院リハビリテーション科 小西 敏彦

 「また月曜日に」と、最後の会話を残して三島先生は交通事故によって
死去された。人の運命はだれも予測することはできない。次の瞬間に
誰かが亡くなる事もあり得る事なのだが、元気だった三島先生が突然
亡くなられると、頭の中では理解ができても、心の中では三島先生が
もうこの世にはいないのだという事実を受け入れることができずにいる。
今でも、リハビリ室に彼の張りのある声が聞こえてくることがあるが、
次の瞬間に三島先生はもういないのだと自分に言い聞かせる。
障害受容という言葉があるが、多くの人が死亡されるのをみてきた
自分が、先生の死を受容する事がこれほどに難しいとは予想外の事だ。
心のなかで先生の死を受容するためには長い時間をかけてゆくしかないようだ。
存在することのありがたさはそれを失って初めてわかる 。こころの中では
先生が今も生きているのを感じる。三島先生とはよくビールの銘柄評論で
盛り上がったものだった。先生がよく奥さんが発泡酒ばかり買ってくるといって
こぼしていたのを思い出す。発泡酒でも麒麟の淡麗ならのめるけれど、
発泡酒ばかり続くといやになってくるといったりしていた。いま三島先生の
机の上には、先生の写真とともに麒麟の淡麗とラガービールを供えてある。
あの世でも発泡酒よりラガービールのほうがおいしいと言っているかもしれない。
これからは、淡麗を飲むたびに三島先生のことを思いだすことになるのだろう。
三島先生の冥福をお祈りする。
                                  小西 敏彦


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