「三島先生への手紙」
              岸和田市民病院リハビリテーション科 徳富 寛子

三島先生、今はどうしているのでしょう?
今でも「んん?」「コラッ!」って聞こえてくるのに姿が見えないなんて。
話したいことがいっぱいあるのに話せないなんて。
せめて夢の中ででも話がしたいけど、先生もいろいろ行き先があるのか
あんまり私のところには来てもらえませんね。
去年の暮れから始めたばかりのランニング。
本当は走るのなんて大嫌いだったはずなんだけど、先生を見てて、
走る先にある何かを知ってみたいという気持ちもあって、
マラソンにチャレンジしてみることにしました。
休みだというのにいきなりスポーツ店から「どのシューズがいいんですかぁ?」
なんてはた迷惑な電話をかけて来た私にも、丁寧に答えてくれましたよね。
いつか「名ランナー 三島康幸氏」と一緒に走らせて頂く日を楽しみに
していました。いつだったか、一人で中央公園を走っていて、いつもは
ハナからボテボテのはずが、妙に足取り軽く走れた日がありました。
そのとき、ひょっとして、今日は三島先生が私の練習を見に来てくれたんじゃ
ないかと思って、なんだか一緒に走ってるような気分になりました。
この前、いつもと違うタオルを使おうと思って引き出しの奥を探っていたら、
なみはや国体のときのお土産のタオルが出てきました。
あの時は病院までテレビの取材が来たりして、恥ずかしがり?の先生は
大変そうでしたね。周りにいた私たちは面白がってたけど…。
当分、あのなみはや国体キャラのハンドタオルは私のジョギングアイテムとして
必須になりそうです。
それから、毎日聴いてるお風呂ラジオ、とても正確に書いて下さった
中央公園鳥瞰図(?)(何でも取って置く私は中央公園の造りが分かって
からも後生大事にこれを持っていた)、録音してくれたCD-Rにいっつも無理な
お願いをして録画してもらった衛星放送の番組のテープの数々…。
はからずも今となっては「形見」となってしまったこれらの品々ですが、
目にするたびに先生はいつも心の中に生きているんだなぁとも思えるのです。
いつかは私の方がおばさんになっていってしまうんでしょうか?
最後に…いつも迷惑ばっかりかけて、頼ってばかりで、
何一つお返しできないまま先生は天国に行ってしまったけど、
先生に対して私ができることといえば、やっぱり頑張って走ることだけです。
これからは、先生に頼らずに練習するしかないけど、
ときどきは私のこともおちょくりにでもいいから見に来てください。
それに「コラ!」って叱咤激励もたまには欲しいかな。
天国で、奥様と永遠にラブラブで幸せに走り続けておられることを願って…。
                      
                          2001年8月12日
                        とくちゃんこと、徳富寛子より


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