今にも、「もしもし三島です。」と電話がかかって来るようだ。
三島ご夫妻と食事をしながらいろんな話をして戴きましたが三島御夫妻が亡くなられた事、残念で悔しいです。
御悔やみ申し上げます。
私が、三島御夫妻と出会ったのは、私が走り初めて10ヶ月京都の視覚障害ランニング練習会でした。
私の初マラソン58歳の時「泉州国際」でした。
記念すべき初マラソン「よみうりtv取材」
[中山さんの招待選手の時]でした。
この取材は、練習からレースゴールまでの取材で三島さんが推薦して下さったそうです。
三島さん、初マラソンについて、電話でアドバイス。
【1】 自分に合ったシューズ30km以上走ってみる
1ヶ月前に食事量も練習でレース当日と同量食して見てはどうでしょうかなど。
練習で試して下さいと、いろんな「スポーツドリンク・粉末」の物など送ってくださいました。
【2】 新しいソックスは洗ってから履く事
これは少しでも水ぶくれを無くすため
【3】 初マラソンは、早く走ろうと思わず、それよりもゴールまで歩かないこと
たとえ5分・遅くても歩かなかったことがいつまでも思い出として残りますよと話してくれました。
タイムは4時間0分57秒でした。
三島さんの、奥さんも「主人」に同じ事を言われたと言って居ました。
タイムの結果は予想以上歩かなかった事で早かったそうです。
フルマラソンを、走る時いつも三島さんの言葉を思い出します。
わたしは、本当にその通りだと思っています。
初マラソンは歩かなかったことが生涯忘れられないですね。
“記録を狙う時は、話は、別ですよ”とも言って居ました。
『印象に残っている言葉』
ご夫妻と食事した時でした、三島さん、記録を狙わないのですかとお聞きした所
「痛風で脚が痛くてね薬を飲むと体がだるくて走れないので、これからは、さなえ「奥さん」の伴走に徹するです。」と話してくれました。
奥さん本当かなといって笑っていました。
すばらしい仲の良いご夫妻でした。
天国で伴走ロープなしで手を繋いで走っているでしょうね。
(三島さんの泉州国際のベストタイム 2時間38分代と言って居ました。)
改めて御悔み申し上げます。
宮本 武
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